日本農士学校跡「郷学研修所・安岡正篤記念館」訪問 2020.2.16
メモ・ノート
2020/02/18
器が大きすぎて掴みどころの無い、一般国民には程んど無名の安岡正篤先生の功績を顕彰する、郷学研修所・安岡正篤記念館 を農士を志す仲間と訪問しました。
今回は、田中事務局長(日本農士学校卒業生)に遺品の説明をいただき、又日本農士学校の設立趣旨 のコピーもいただきました。
- 当時の入学資格に、知事の推薦状が必要であった。
- 教えのひとつに、「自ら(地位・名誉を)求めてはなるぬ」事
- 渋沢栄一翁の孫、民俗学者・第16代日本銀行総裁・大蔵大臣を務めた渋沢敬三氏によると、彼が地方を訪れた際、風変わりな吾人が日本農士学校の卒業生であったことが紹介された。
- 午前中は四書中心の座学、午後は農業実習の全寮制の一年で、兎に角、自ら進んで学んだそうです。
- それ以外にも、武道、相撲の時間があったとか。
- 安岡先生が、昭和の松陰先生、國體参謀として活躍されたことを改めて感じた次第です。
- 添付、趣旨書 の格調の高さは言うに及ばず、開校当時(昭和6年)の危機的な時代背景がひしひしと伝わってきます。
- 農民人口が2割を切ると、国家が成り立たないとの危機意識からも、農士学校の設立を決意されたようですが、その十年後、大東亜戦争に突入することとなりました。現在、農業就労者人口が1%を切るという壊滅的な状況であることも付け加えておきます。
- 十干は植物の生長を、十二支は人間形成を教訓としております。自然・人間を離れて學ぶことは出来ないとも読み取れます。傲慢の傲は、人 + 土 + 放の会意文字です。人・土から放れると傲慢になると小生は理解します。
- 大學にも「修身斉家治国平天下」とあり、先ず己の身を修めることが先決であると。東洋思想は、修己治人の學門であり、己を修めて後、人を治める。
- 人・土から學び己を修め、後に各地域で人を治める人材育成を目的として日本農士学校が設立されたことを改めて確認しました。
- 霧里農場(埼玉県小川町) の金子美登氏のご尊父が、日本農士学校の卒業生だということです。近く訪問させていただく予定です。
追加¶
- 日本農士学校の農家経営教育 こちらは、DL後、添付もしてあります。