読書力
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宋学の大儒者・程伊川(ていいせん)にこういう逸話がある。
伊川は讒言(ざんげん)に遭って島流しにされた。
十年くらい経って都に帰ってきたが、
威風堂々として周囲を圧するような迫力に溢れている。
弟子が、「十年も島流しになると
普通は憔悴して見る影もないのに、
先生はどうしてそんなに堂々として
活力に溢れているのですか」と訊くと、
伊川は、「自分はこの十年、
真剣に骨身を削って勉強し、
易経やその他の聖賢の教えに通暁した。
その学の力だ」──と答えた。
こういう話もある。
西郷隆盛が二度目の島流しで、
沖永良部島に流された時、
西郷は三個の行李を持っていった。
その中には八百冊の本が入っていた。
わずか二、三畳の吹きさらしの獄の中で、
西郷はひたすら『言志四録』や
『伝習録』などを読み、心魂を練った。
吉田松陰も同様である。
松陰は萩の野山獄に送られた時、
在獄一年二か月ほどの間に六百十八冊も本を読み、
杉家に移され幽閉された後も、
安政三年に五百五冊、
翌四年には十一月までに
四百九十二冊の聖賢の書を読破している。
すさまじいまでの読書である。
彼らは、知識を増やすために本を読んだのではない。
心を鍛え、人物を練り上げるために読書したのである。
真剣な読書に沈潜することが
いかに人間に大きな力をもたらすかを、
三人の先哲の生き方が例証している。
哲学者の森信三氏は、
「読書は心の食物。
肉体を養うために毎日の食事が欠かせないように、
心を豊かに養う滋養分として読書は欠かせない」
と常々言っていた。また、
「真の読書は、人がこれまで体験してきた
人生体験の内容と意味を照らし出し、統一する光です。
私達は平生読書を怠らぬことによって、
常に自分に対する問題を深め、
それによって正しい実践のできる
人間になることが何より肝要です。
言い換えれば、読書、内観、実践という段階の繰り返しは、
人間が進歩、深められてゆくプロセスとも言えます」
碩学・安岡正篤氏は「人物」を磨くための条件として、
次の二つを挙げている。
一、すぐれた人物に私淑すること。
一、魂のこもったすぐれた書物を読むこと。
いま、子どものみならず大人も本を読まなくなった、と言われている。
しかし、読書力の低下はそのまま人間力の低下につながり、
国の衰退になりかねないことを私たちは肝に銘じ、
その復興に努めなければならない。
「七歳の児童たちの読書量が、
将来の世界における英国の位置そのものである」
イギリスのブレア首相の言と聞く。卓見である。
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2021.08.17 偉人メルマガより