格物致知/誠意正心/修身斉家/治国平天下
『物に本末あり、事に終始あり。先後するところを知れば、則ち道に近し』(大學)
物事には本当に重要な部分と枝葉末節があり、始めと終わりがあります。
何かをはじめる上で、何から取りかかるべきかを心得てから開始すれば、大きな成果を得ることが出来るでしょう。
続いて、
『天子より以て庶人(しょじん)に至るまで、壹(いつ)に是れ皆身を脩むるを以て本と為す。その本乱れて末(すえ)治まる者はあらず』(大學)
天子から庶民にいたるまで、すべて我が身を修めることを根本とする。
我が身も修まらないのに、天下を治めようなど、しょせん無理な話である。
家をほったらかしで、国や天下が治まった例などない。
自分の下半身さえ修められない輩が、天下国家を語る事なかれ!^^;
その大學で押さえておくべき格言は、以下となります。
格物致知/誠意正心/修身斉家/治国平天下
物を格(ただ)して、后(のち)知に到る。
知に到りて、后(のち)意(こころばせ)誠なり。
意誠にして、后(のち)心(こころ)正し。
心(こころ)正して、后(のち)身修まる。
身修まりて、后(のち)家斉(ととの)う。
家斉(ととの)いて、后(のち)国治まる。
国治まりて、后(のち)天下平らかなり。
この中の「格物」とは何か?
朱子によれば、「物にいたる」と訓じ、個々の事物についての道理を徹底的に究明すること。
王陽明によれば、「物をただす」と訓じ、対象に向かう心の動きを正しくすること。
コトバンク
故伊與田覺先生は、「本来にかえる、自分を正す」と仮名大学で説明されていました。
ある方は、「体験から学ぶ」とも言ってました。
不肖の現時点での解釈は、主客未分の状態、つまり分別智の分け入らないありのままの姿と受け取っています。
それは、宇宙創造神の造化のはたらき、つまり愛なのではないでしょうか?
続く