挨拶の三宜(さんぎ)
「敬」「謝」「謙」「譲」「和」という精神で
「礼」を行えば相手に通ずる。
日本では頭を下げるのが「礼」です。
握手するのも「礼」 の一つです。
形はいろいろ違って参りますけれども、
根本にそういう心を持つことが大事なんです。
その「礼」の中で、我々が日常一番よく行っておるものは「挨拶(あいさつ)」であります。
「挨」も「拶」も「触れる」とか「押す」という意昧があります。
石と石が触れ合ったら火花が飛ぶ。電気が触れ合うと稲妻(いなづま)が出る。
人間が触れ合ったときには、挨拶によって人間関係はスムーズにいくんですね。
だから、挨拶にはじまって挨拶に終わるということは、今更私がいうまでもないことです。
この挨拶に大切なことが3つある。
その1つは「時の宜(よろ)しきを得る」ということ。
人間の心というものが最もよく表れるのは眼です。
目は口よりもものを言う。眼というのは常に真実を物語っている。
だから礼をするときには、はじめに相手の目をよく見る。
そして頭を下げて起こしたときに、もういっぺん相手の目を見る。
だから、目が合うということが大事。
相手を見ずに頭だけ下げるような礼のことを「瞽礼(これい)」という。
中国の宴会に行って大切なのは「カンペイ」ということです。
本当の「カンペイ」というのは、盃を持ってまず相手の目をよく見る、酒を飲み乾したら盃の底を見せて相手の目を見る。
それで言葉は通じなくても心はよく通じるんです。
犬と人間とも同じことで、お互いに目を見合うたら言葉は通じないけれども心が通じるものなんです。
挨拶に大切なことの2つめは「言葉の宜しきを得る」です。
「おはようございます」とか「こんにちは」とか、そのときに応じて言棄を変える。
また「おはよう」「おはようございます」というように、相手に応じて言莱を変える。
これを瞬時に判断をして適切な言葉を使う。
「言葉の宜しきを得る」とはこのことをいいます。
3つめは挨拶の内容が道理に適っていること。
無茶な言葉を使わない、そういう挨拶を「事の宜しきを得る」と申します。
侠客の挨拶を「仁義を切る」といいますね。侠客というのは本来、強きをくじいて弱きを助ける。
人間の道義の根本をなすものは、義理と人情です。
だから、仁義に適った挨拶をする。
こちらが仁義に適った挨拶をしているのに、向こうがそれに応じない場合は「血の雨が降る」なんてことになるわけでありますな。
侠客は命よりも仁義というものを重んじているのです。
そういうことで挨拶には3つの宜しきを得ることが大切である。これを「挨拶の三宜(さんぎ)」といいます。
このことを幼少の時分から繰り返し繰り返し行っておりますと挨拶というものか身について、どこから見ても麗しくなる良い躾がついてくる。
にわか仕立てではどことなしにぎこちない。やっぱり幼少の時分から、あるいはいつもこういうことを心掛けて挨拶をいたしておりますと、どこから見ても感じが良くなるものです。